暇旅日記4:アンマン城の夜景&在シリア日本人のおはなし

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8月1日(日) 13時

ぺトラ遺跡を往復すること7時間、出口まで来た時にはすでにヘトヘト、宿まではタクシーを使う。3人で3JD。宿に置いた荷物を取って、シャワーでもあびようかーと話していると、宿のオバハンがきてひと言。

『チェックアウト後のシャワーは駄目だかんねっ!!!』

まるでこっちの気持ちをよんだかのよーな言葉。これがかのバレンタインインの悪名高きオバサンスタッフ(奥さん?)だとおもう。

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仕方ないのでとっとと宿を後にして、Nさんから教えてもらった美味しいパン屋さんで昼ごはんを買い、ジモティーバスを乗り継いでアンマンへと戻る。この路線は観光客が使わないため、乗客は本当にアラビーばっかだったな。
ぺトラ→マアーン(40分1JD)、マアーン→アンマン(3時間半3JD)をスムースに乗り継ぐ。おかげで18時半には宿(マンスール)に戻ることができた。

↑アラビー度120%のローカルバス。さすがに肌を隠して乗りました。

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宿に戻るとルアイが、『超心配してたよー!』と迎えてくれた。ドミがいっぱいだったため、ツインの部屋を用意しててくれた。そしてロビーに行くと、先ほど宿に着いたばかりという日本人がいて、声をかけてくれた。

彼の名はKさん(21歳男子大学生)。若いのにとてもしっかりした志をもった人だった。

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彼はパレスチナ問題に興味があったが、でもただ行くだけではつまらないとおもった。そこで彼のとった行動は・・・アラブに留学してアラビア語をマスターし、現地人やパレスチナ人の友人を作り、その上でイスラエル入りして自分の目でパレスチナ問題を確かめる、というものであった。すごい。

私達の次の目的地、シリアのダマスカスに1年間留学していて、アラビア語ベラベラ。そして私達が会ったその日は、ヨルダンをぬけてイスラエルに行こうとしている、まさにそんな佳境のときであった。
一度イスラエルに入国すれば、もうシリアには戻ることができない(国交の都合上)。大好きなシリアを離れることは、彼にはとっても辛かったことが伝わってきた。

せっかくだからということで、一緒に行動することに。ルアイと夕ご飯を食べたあと、私とTJさんとKさんの3人でアンマン城からヨルダンの夜景を見に行くことに。Kさんがジモティーに道をきいてくれ、ようやくたどり着くことができた。
http://4travel.jp/traveler/pans/album/10496788/

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夜景というのはすごく不思議な力をもっていて、つい色々な話をしてしまう。彼からはたくさんのことを教えてもらった。

ダマスカスについてのこと、シリアには日本人が2〜300人しかおらず自然と顔見知りになってしまうこと、絶対に売れない路上で物を売ってる人はほぼヒミツケーサツの方だということ、レバノン南部にヒスボラ*1の取材にいったこと、許可なしにクネイトラ*2にいって拘束されて追いかえされたこと、シリアの海賊版事情についてのこと、などなど・・・。
アラビアン・ラップを勧めてくれたのも彼だった。本当に話を聞いてて飽きなかったな。

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夕日が落ちて宿に戻り部屋で休んでいると、9時ごろにルアイが部屋にやってきた。日本人が1人やってきたので泊めてやりたいがベッドがいっぱいだ、だからこの部屋の床に寝具をひいて泊めてあげたいんだ・・・という。2つ返事でOK。
やってきたラッキーな彼の名はトモさん(27歳男子)シリアから1週間旅してきて、明日アンマンから帰国という。彼からもシリアの情報をGETすることができた。やはり今の時期のシリアは非常に暑くて過酷だという。そしてダマスカス旧市街のオススメ宿について教えてもらったのだった。

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8月2日(月) 7時

朝ごはんを食べて、ルアイにお別れを言って旅立つ。次の目的地は、国境を抜けたシリアのダマスカス。
最後に彼に質問した。

ス『なんで日本人にそんなにやさしくしてくれるの???』
ル『だって心が温かくて、いい人たちだからじゃないか。
  ・・・でも日本人だからって、誰にでもやさしくするわけじゃない。
  心ない人には、それなりの付き合いになるよ。
  少し前に日本の女の子から、”ルアイ、結婚して!”っていわれた。
  でもそういうのが目的で親切にしているわけじゃないんだ。
  僕の心からの気持ち。そういうことなんだ。』

たくさんの親切の対価を決して受け取ろうとしなかった彼に対して、最後は日本からもってきてたドトールの簡易ドリップコーヒーパックを押しつけるようにして、宿を後にした。

ル『コーヒーか!それは僕の好物だ。』

やっと彼のよろこぶ顔が見れた。ちょっとでも相殺できてるといいなー、とおもう。


そしてヨルダンとシリアの国境を抜けて、昼過ぎにダマスカスに着いたのだった。(国境超えの方法と情報はこちらへ↓)
http://4travel.jp/traveler/pans/album/10496818/

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*1:レバノンシーア派急進的団体で政治組織。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%A9

*2:中東戦争で廃墟になった街をそのままの状態で保存してある。立ち入りにはシリア内務省への申請と許可が必要。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%A9