●暇旅日記10:死の町探訪、そして水タバコ初体験
8月5日(木) 朝7時
今日はリヤドホテルのアレンジツアーで、ハマ近郊の遺跡を1日かけて回ります。ルートは下の通り
一応どれも『地球の歩き方』に載っているものの、若干マニアックというか、日本ではほとんど知られていない遺跡たち。でもどれもすばらしかった。個人ではなかなかいけない場所ばかりだったので、ツアーに参加して本当に良かった。(公共交通機関はほぼ無しに等しく、レンタカーも回りが砂漠ばかりで土地勘がないとまず無理。)
↑これの7番。7人参加で1人55ドルだった。昼食無し、7時半〜18時の1日まるっとコース。かなりハードだけど盛りだくさんで満足!個人的には行って本当によかった。「「
↑これに乗っていきました
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9時:アパメアAPAMEA到着
パルミラと同時代の都市だけあって、建物の様式や作りがかなり似ている。
パルミラ同様、色々ごろごろ無造作に。どうしてシリアの遺跡はこうなのか・・・
ここであほなことやってもーた。運転手は『遺跡の終わりで待ってる』っていったのを聞き逃して、もと来た道を引き返してしもーた・・・。英語だといちいち緊張して聞かないといけないので面倒だなー。
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次のサラディーン城までは日本の田舎みたいな風景を通って、山々を抜ける。
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12時:サラディーン城到着
そんなに大きい城ではないし、閑散としている。でも城の眼下にひろがる緑濃い景色は絶景。宿のスタッフ・アブドゥラーさんもイチオシのスポット。
15時:アル・バラの遺跡群に到着
ここからデッドシティ(死の町)と呼ばれる一角。5〜7世紀ごろに突如打ち捨てられた集落たちが並ぶ。忽然と住人が消えた理由が分かっていないため、『死の町』と名づけられた。ちょっとしたホラーだ。
ピラミッド型のお墓。中には棺がそのまんま残っている!手前に写っているのが運転手の親父。
ずいぶんと田舎にきてしまった・・・。オリーブの木々が生い茂っている。
途中で運転手親父がもいでくれたイチジク。おいしかったがそこは人の畑なのでは・・・。
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16時:セルジッラー到着
デッドシティの中心的集落。見渡す限りの廃屋。結構大きな集落で、風呂や豪邸もあった。彼らに何があったのか。
総じてとても良いツアーだった。宿にもどる途中、オランダ人グループは大きな町で下ろされていった。きっと次の目的地へと向かったのだろう。
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18時:宿に帰り着く
ツアーは強行行程で、朝からも食べずにいたケレンと私。小休止後、宿のオススメのSara Hotelのレストランへ。
レンズマメスープ、ババガヌーシュ、サラダ、ワインリーフで米をまいたもの、オレンジ×レモンのミックスジュースなどなど。この日も良く食べたー。
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食後は、夜の水車を眺めながらお散歩。
そして帰る途中にいい感じのホテルのカフェがあったので入店、ルーフテラスで一休み。
凄くオサレな空間!
でもでかでかとアサド大統領の顔写真があったのには笑った。オサレ空間台無し・・・笑。
周りの男女ともにアルギーレ(水タバコ)をやってた。喫煙経験のあるケレンに『やってみなよ!』とすすめられてトライ!
アップル味。かなりまったりリラックスできる。ケレン曰く、彼らはカフェで一服して、家でも一服して・・・と吸いまくるらしい。でも初めてで吸い方ヘタクソで全然煙がでなかったー。あちゃー。
22時
宿に帰る。つかれたー。私は早朝にレバノンに発つため、ここでケレンとはお別れ。ありがとう、さようなら。絶対に忘れないよ。
シャワーを浴びて、ぐっすりと眠る・・・。
25時
が、この猛暑のシリア、エアコンのない部屋で暑くて目覚める。そのまま眠れずにロビーに行くと、真っ暗で静まり返った中にスタッフのアブドゥラーがいた。
どうしたの?と気遣ってくれ、暑くて目が覚めて・・・と告げると、これを首の下において眠るといいよ、と水を1本くれた。お金はやっぱり受け取ろうとはしてくれず、シリア人の優しさをしみじみ噛みしめる。
↑アブドゥラー。かなりイイ人!お世話になりまくったなー。
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そして、明日はいよいよレバノンをぬけ、キプロス島まで行かなくてはならない。
1日で2つの国境を越える日。それは、とてもとても長い一日となったのだった。
●暇旅日記9:TJさんとの別れ、そして『Keren、You saved me!』
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8月4日 昼
パルミラからホムス行きのバスへ。
ホムスからTJさんはアレッポへ、私はハマへと向かう。1週間ちかく続いたTJさんとの旅も、これで終わりと思うととてもさびしい。最後の最後に、UKロックや2000年前後の日本の音楽シーンの話をひとしきりする。飽きない飽きない。。中東のど真ん中で、日本人UKロックを語りまくる(笑)。 なんてシュールな図なんだろ!
ホムス到着。カラージュ・タモドール(パルミラ駅)に着く。
事前に調べていた通り、ここから中央駅(カラージュ・ポールマン)に乗り換える必要があった。タクシーで150spで行く。セルビスもあったみたいだけど面倒だったのでタクシーで。ちなみにカタコトアラビア語で値切ったらあっさりまかる。おお、通じて感動。30分ほどで中央駅到着。ここでTJさんとお別れ。
彼は旅で出会った人とは連絡先を交換せず、いつかどこかで偶然再会できるのを楽しみにしているんだ、という。mixiやらfacebookやらで簡単にコンタクトが取れるこの御時世に、なんてロマンティックな!
『今度はイエメンか、下北沢で会いましょう!』
これが私達のかわした最後の言葉だった。
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寂しさを感じながらも次の町、ハマに向かわねばならない。
英語が全然通じない駅にて、ジモティーローカルバン(ハイエース、10人くらい乗っててギュウギュウ)になんとか乗って出発。
30分ほどでハマの町に到着。
ここの町は川とそこにかかる水車が有名で、とてものんびりできるとのこと。
でもバンを降ろされるも、地図を見てもさっぱり方向感覚がつかめない。そのうちタクシーの客引きが数人よってきた。うざいー。・・・と困っていると、近くにいた若者(♂)が救いの手を!
『ホテルの場所を教えて?・・・これならセルビスで行けるね。僕についてきて!』
シリア人には珍しく、流暢な英語を操る彼はナジーさん・IT系エンジニア。彼は私の降りる駅で一緒に降りてくれ、その上ホテルまで連れて行ってくれて、その上セルビスの料金まで払ってくれた!!!!いやいや自分で支払いますから、といっても頑として受け取ってくれなかった。日本円にして50円くらいなんだけど、この国の月収を考えたらその10倍以上にはなるはずだ。なのに・・・。
『ウェルカム・トゥ・シリア、どうぞこの国をエンジョイしてね!』
そう言って握手をして別れた。本当にシリア人には優しい人が多い。目にしみまくる。日本で困っている外国人がいたら絶対に助けよう、とこのとき心に誓いました。ナジー、シュクラン!
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ホテル『リヤドホテル』に投宿。ここは中東1快適な宿だというもっぱらのウワサ。その人気は高く、ドミトリーはもうフル。シングル900spなら空いているとのことで、ちょっと高いなーと思いつつも決める。ちょっとしたビジネスホテルみたいに居心地よし。中東にしては快適で清潔だと思う。
ここには2泊して、ハマの町歩きとこのホテルから出ているシリア近郊の遺跡ツアーに参加する予定。有名な城・クラック・デ・シュバリエには絶対はずせないし、サラディーンのファンとしてはサラディーン城も絶対行きたい!そして最終日には、ここからレバノンへ国境を抜けていかなくてはならない。
さっそくスタッフに相談すると、とっても親切にツアーの相談に乗ってくれた。本当に親身になって考えてくれた。結果、明日はアパメア・サラディーン城・デッドシティのツアーに参加する、明後日はチャータータクシーをシェアしてクラック・デ・シュバリエ城を見て、そのままレバノンとの国境へ送り届けてもらうのが一番良いことが分かった。うん、いいプラン。ありがとう。
ツアーの話をしていると、一人の白人女性が声をかけてきた。彼女も明日のツアーに参加するらしい。名前はKeren(ケレン)。話すうちに意外な事実が判明。
ケ『たった今、パルミラからここに着いたばかりなの』
ぱ『え!私もたった今パルミラからハマに着いたばかりだよ!!!』
ケ『え!どこのホテル泊まってた?』
ぱ『サンホテル。』
ケ『え!え!私もサンホテル・・・あ、あなたあの時のジャパニーズカップルじゃん!彼氏はどこ行ったの?』
ぱ『彼氏じゃないよー。旅の途中で出会って一緒に行動してただけっス。今頃はアレッポにいるかと』
ケ『Oh・・・』
そんな話をするうちにすっかり打ち解け、一緒にハマ滞在の間は行動することに。
私が知る限りのケレンのこと。
推定30代後半、アメリカ・シアトル近郊の田舎出身、考古学者で今まで50か国くらいに滞在経験有り、この前までヨルダンの砂漠で2ヶ月仕事をしていてようやく休みが取れた、ベジタリアン、大工のボーイフレンドがいるが『Sometime Boyfriend』らしい(・・・おい。)
人に気遣いができて優しくて、でも強くてタフではっきりしてて、カッコイイ自立した女性。そしてどこかさびしそうだった。
ぱ『シアトルって言えば、スタバが日本でもいっぱいあるんだよねー』
ケ『知ってるよー。私たちはスタバをあげて、あなたたちはイチローをくれた。つまり交換っこね』
・・・スタバよりイチローが欲しかったよ、とは言えなかったなあ。
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まずはハマ名物、水車を見に行く。おお、すごい迫力!そのまま川沿いに歩き、この町じゅうの水車を歩いて見に行くことに。
水車小屋の一軒で、大工仕事をしていたとっつあんが我々を招き入れてくれた。水車の動く、ギギゴオオオーとした音を遠くに聞きながら、実にのんびりとしたムードでお宅訪問。ちっさいお子が一人いて、お茶とかふるまってくれたり、水車が超迫力で楽しめるスポットを案内してくれたり。ここでもシリア人の親切さにしみじみ。
アラビア語指差し帳をもっていたので、それを使ってカタコト会話。持ってった甲斐あったー!1時間くらいお邪魔してたのかな。本当にゆったりと時がすぎる。ケレンが言った。『うん、今日は完璧な1日ね』
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しかし残念なこともあった。ここでかの有名な、初のセクハラを受けたのだ。
勿論とっつぁんからではない。近くの住人のオヤジが入ってきて、とっつあんとケレンが水車を見に行っている間にワシの腿とかさわりだしたのだ!おいおい!咄嗟のことで『マムヌーア!』(=禁止)といったのだが、ちょっとしつこかった。とっつあんとケレンが帰ってきたら手を引っ込めてたけど。
今なら『ハナ アンタ ムスリム!?』(それでもアンタ、イスラム教信者なの!?)って言ってやろうとおもってる。
セクハラは噂には聞いていたが、イスラム圏で女性一人で旅行をすることのリスクを再確認。しかしTJさんと別れた途端にこれかー。今まで護られていたんだなーとつくづく実感。イスラム世界では、カップルでない男女が一緒に行動することなどまずありえないから、私達も夫婦と思われていたんだろな。改めてTJさんの存在に感謝した。
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とっつぁんとお子に別れをつげ、川ぞいに歩いて残りの水車を見に行く。夏、しかもこの猛暑の中だったので、川や水車に地元人や子供たちが涼みにきていた。なかにはこんなツワモノも。
ここでも悪ガキに軽い嫌がらせをされた(タッチされたりギブミーマネーと言われたりな)。でもリーダー格の子が『あいつはクルクルパーなんだ』といって止めてくれたり、ケレンが『触っちゃダメ、それがルールなの』と諌めてくれたりして、こういう場でどーにもビビッてしまうチキンな私にはとても助かった。あああ、我ながら情けない。
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ぐるっと町を一周し、川の一番東にあった最後の水車たもとにあったレストラン『Four Noria』で腹ごしらえ。ケレンはベジタリアンだったが、中東フードはイケルものはたくさんあるらしい。彼女オススメ料理が次々登場。見たことないがおいしそう!
ファトゥーシュ。上にチップが乗ってるサラダで美味しい。
ババガヌーシュ。ナスとホンモス(豆)のペースト。
ケベ。ヨルダン人のノスさんたち(→ここ参照)に"Must have!"と勧められた。ひき割り小麦と挽肉のメンチ。
アラブパン。食事を頼むとフリーでついてくる。かなりおいしい。
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宿に帰る前に、ハマ名物のハマロールをゲットすべく『アパメア』という店へ。ハマロールとは俗称で、中東のこの地域に見られる、チーズとナッツをモチモチしたクレープで巻いたお菓子。
店内でどこから来たんだ?と聞かれ、ケレンがアメリカだと答えると、『ジョージ・ブッシュ、ブーブー!!!!』とあのブーイングポーズをとって店内の従業員がいっせいに騒がしくなった。
また彼らは『オバマ、グーーーッド!!!』とも。中東ではアメリカ人は嫌われ者である。特にシリアとアメリカは仲が悪い。ケレン曰く、シリアビザをカリフォルニアで取ったら170ドルしたそうな(!!!)。政府の問題ね、とは彼女の弁。確かにアメリカのやり方には同意できない所が多々あるけれど、それをここで言われなくても・・・。ちょっとケレンに同情した。
『オバマってヒーローなのね』
ケレンを元気づけるように言ったのだが、
『でもアメリカではそうじゃないのよ』
という答えが返ってきたところに、今のアメリカ社会の難しさが見て取れたのだった。
ちょっと写真がきたないなー。手作業で巻いてる。でも別にハマじゃなくても、地中海沿岸地の町なら売ってるみたい。Halawet El Jeben(ハラウェット・エル・ジベン)いいます。
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宿に戻る途中、ATMでお金を引き出そうと思って財布を開けて、大変なことに気がついた。クレジットカードが1枚、ない。しかもメインで使ってるやつ!最後に使ったのはダマスカスのATMだから、そこで取り忘れたに違いない。幸い他にカードは何枚かあるので旅に支障はないが、不正使用が気になる。シリアの人たちはそんなことしないだろう、と分かってはいるものの、やはり不安で落ち着かない。まずは早急にカード会社に電話して止めなくては。公衆電話・・・どこにあるんだろう・・・頭の中は真っ白でパニックに。
そんな様子を見てケレンがひと言。
大丈夫よ。私のPCからスカイプを使って通話すればいいわ。
それは天からの救いの声だった。本当にいいの?ありがたいけど私はアカウントを持ってないの・・・。という私をさえぎり、私のを使えばいいわ。料金も大したことないからいいのよ、気にしないで、と言ってくれた。そして文明の利器ってすごいよね、と彼女はウインクしてくれた。
さっそく宿に帰って、ケレンの部屋でスカイプを起動。使い方を教わり、カード会社にTEL・・・通じた!さすがシリア人、不正利用はされてなかったので即止めてもらう。これでほっと安心したー!
『Keren,You saved me! Thank you!』
ケレンはにっこりとこう言った。『よかったわね。』
おかげでこの晩は、何事もなくぐっすりと眠ることができたのだった。
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この日のナジーとケレンの出来事から、この先の旅で困る人が目の前に現れたら、全力で助けようと心に誓ったのだった。
★補足・旅日記と写真はこちら→http://4travel.jp/traveler/pans/album/10503126/
Charlotte Gainsbourg@東京国際フォーラム
一晩たった今でもはっきりと残る余韻。どうして、こんなにもひきつけられてしまうのだろうか。
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シャルロット・ゲンズブールの東京ライブに行きました。
彼女の出演作品はまともに見たのは1〜2作だけど、なんとなく、ずっとその佇まいというかあり方は目が離せない存在でした。
で、最新アルバムの『IRM』。これがもードンピシャで好みで。Beckとやってて、どこかメタリックで硬質的なイメージもありつつオルタナロックの流れを確実に汲んでいるサウンドに、美メロに囁くようでいて美しい声。そしてそれが上手すぎない(←こことっても重要)。
彼女の本業は女優じゃなくてミュージシャンだろうと本気で思ってしまった(そして今もそう思ってる)。とにかく、決定的に惚れこんでしまったわけです。
これをよくよく考えてみると、その感覚はステラ・マッカートニーを好きだという感覚にとても近いと思った。本人のキャラクターから音楽が聞こえてくる感じが。そこが大して作品も見ていなく、音楽もろくすっぽに知らないうちからシャルロットにずっと惹かれてきた理由だろう、と思い当たりました。
もちろんセルジュもバーキンも大好きで、シャルロットのもの以上に彼らの音楽・映画には触れまくっているんだけど、父親・母親(とその伝説)を抜きにしたところで、シャルロットには特別の引力を感じるのです。そしてそれは、彼女の佇まいがイコール音楽が匂いたつ存在なのだからです。
やっぱり、根底に音楽が流れている人が好きなんだな、と再確認した次第。
あと血ね。血の絆というか、いや呪縛というべきか。そういうのを背負っているひと。
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でで。本題のライブですが、まず東京公演の箱がハイソすぎた。もちろん音質はいいし客層にもあっていたかもしれないけれど、『IRM』のサウンドにはスタンディングが似合っている。そこいくとこの東京国際フォーラムAホール、みんなお上品に座って聞いてるもんだから居心地の悪さは否めなかった。
ではどこの会場が良いかときかれると、それもドンピシャがすぐに思いつかない。んー。難しい。次回来日までの検討課題ということで。
ライブの内容自体は、とてもとても素晴らしいものでした。音の再現性がハンパない!と思っていたらBeckバンドの皆様でした。どおりでどおりで。楽器とっかえひっかえでひきまくり、シャルロットも太鼓にシーケンサーに演奏していて、男気あふれてましたねー。ステージの音の一体感はバッチリです。
あ、席が30列付近だったため、噂になってたギターの女子のスケスケスーのお洋服が拝めなくて話題にのれず残念だったなァ。
それから、父上の曲『特別ホテル』『クーラーカフェ』をやってくれたのはビックサプライズ。しかも後車ではコールアンドレスポンスまで!!!もうハッピーな瞬間。そしてそれがふっと止み、『ドウモ アリガトウ マタ アイマショウ』の声とともに去っていったのも、まるで軽やかな夢からの目覚めのようで、終わった後もボーっと夢心地でした。
格好は白のタンクトップに8部の革ジャケに黒い光沢あるスリムパンツで、シンプルなことこの上なし!なのに、超カッコよかった。そこにいるだけで絵になる。華がある。これがスターなんだな。
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来年には物議を醸し出しまくって日本未公開のはずだった、カンヌ主演女優賞受賞作『アンチクライスト』の奇跡の上映がひかえています。昨年夏のアイルランド旅行にて映画館におどろおどろしいポスターが貼られているのを見て、ずっとずっと見たいと思ってたのですごく楽しみ!なんでもシャルロット、相当身体を張ってるみたいで・・・。両親の作品、『ジュテーム・モワ・ノン・プリュ』を想像せずにはいられませんなー。
↑これが昨年現地にて見かけたポスター。すごいでしょ!?監督がトリアーだし、シャルロット主演だし、なんじゃこりゃ!?と思わずカメラをむけていた・・・。
●暇旅日記その8:『アンマンにロケット砲が落ちたらしいよ』
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8月4日 早朝
ファンがあって涼しいはずの部屋は、夜中に停電がおこったようでまたまた熱帯夜。外は涼しいのに部屋はは地下にあったため風が入らず、昨日につづき早めに目が覚めた。
5時。
TJさんも目覚めたので、着替えて朝日に照らされた遺跡を見に行く。
またまた天気は若干曇りだったものの、朝の光が浮かび上がるその光景はとても神々しかった。別世界に迷い込んでしまったかのように、現実感がなくなる。
美しい美しい砂漠の古代遺跡。かつての名残をかすかにとどめる姿は、まるで蜃気楼のよう。
日が昇りきったところで、いったん探索終了。朝ごはんを食べに町に戻る。もともとレストラン自体も少なく小さな町なのだが、早朝から開いているレストランはさらに少なく、オープンテラスになっているツーリスティックなカフェに腰をおろす。
中東名物のデーツ(ナツメヤシの実)をつかったパンケーキにレモンミントジュース。2品で250sp=500円。フレッシュでとてもおいしいが、旅行者プライスでチト高し。
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一息ついていると、遠くからあわててやってくる人が・・・どうも日本人のよう・・・
・・・ってアレ?!Youさんじゃん?どしたの?
『アンマンにロケット砲が打ち込まれたって、会社から国際電話で連絡があったんだ』
『だから、ここの隣のネットカフェで情報を得ようと思って』
エー!あんな安全なところに何の目的で???イスラエルやイラクとドンパチはじめる理由は、ヨルダンにはない。じゃあ誰が打ち込んだ??ルアイやマンスールのみんなは無事なの???
みんなに動揺が走る。
特にYouさんは、今日パルミラ→ダマスカス→アンマンまで一気に行かなくてはならず(私達が2日かけてきたコース)、旅程に影響がでるかも、とのこと。うむむ。
あいにくネットカフェは早朝でクローズ。Youさんのご家族が日本で調べた結果、おなじヨルダン国内でもアンマンではなく『アカバ』、そしてすぐ隣のイスラエルの『エイラート』に打ち込まれたとのこと。
・・・アカバって言えば、ぺトラで一緒だったNさんが行くっていってた!彼、大丈夫かなあ。日がたってるし無事だと信じたい。でもひとまずは安堵。
ここでYouさん、飲み物を飲もうとするも代金100spの持ち合わせなし。『じゃあいくらならあるんだ?』と店の親父に聞かれ、50spだと答えると、ちっちゃいグラスにジュースが注がれてきた。・・・このへんは、まったくもってアラブ的。テキトーすぎる。
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ここで珍イベント発生!
無事もわかったことで安心し、じゃあそろそろ観光にいくか・・・と相談してたら、店の親父が近づいてきて”ホラ”と一枚の紙幣を見せてきた。
・・・わ!!!!
なんとそのお金には、サダム・フセインの顔があったのだ!!!!
これはイラク旧体制時のお金で、もちろん今では流通していない。親父、どこでこんなものを・・・。ざわ・・・ざわ・・・
『写真とるなら1ドル、買うなら5ドルだ』
・・・いい商売してるなー。でもこんなの見逃すわけにはいかん。ってことで、がっつくように一同お買い上げ。なんて商売上手。見せるタイミングとか絶妙すぎるぞ。親父。
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再度、ユージさんともお別れ。うまくアンマンまでいけるよう旅の無事を祈りながら。
宿に戻ってチェックアウトをして、昨日のサイトーとおちあう。昨日のスペイン人夫妻も一緒だ。今日は"エラベール3兄弟の塔墓"と"ベル神殿"という、パルミラ遺跡のなかでも大規模で歴史的価値のある場所を案内してもらうのだ。
まずは"エラベール3兄弟の塔墓"。
当時、多額の寄付などをして貢献したエラベール家の立派なお墓。内部に壁画が描かれていたのだが撮影禁止。残念。
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続いてパルミラ遺跡最大かつ中心部であったベル神殿。入口にいくと・・・アレ!!???・・・またもやYouさんではないですか!三度の再会にみんなで嬉しくなり、そのまま一緒にベル神殿をまわる。
しかしこの大きさっていったら!約2000年も前ですよ?柱をを寸分の狂いなく立てたり、石から切り出したりする技術とか、本当に古代人の凄さを思いしらされる。現代から見ると古代は遅れた時代だなんてつい思ってしまうけれど、絶対にそんなことはない。ポストモダン的解釈みたいだけれど、古代の人々の生活に思いをはせられずにはいられない。
時間はたつのは早いもので、そろそろ昼前。そしてパルミラともさよなら。そしてYouさんとも、今度こそ本当の本当にさよなら。感動を彼と分かちあえたのは、とてもよい思い出だった。
さよならが募るその前に、次はどこの国を攻めたいか聞いてみる。(ちなみに彼のパスポートを見せてもらったが、ロシア2回、カザフ、ウズベキ、コーカサス地方、その他ビザでページがいっぱい埋まっていた。やるな。)
『あの、会う人会う人みーんな、"イエメンいいよ!"って言うんですよねー。どんだけいい国なんだと。気になりますね。今一番アツいんです。』
・・・ぎゃー!
私達もそうだよ!イエメン勧められてその気になってたの!
『わ!やっぱり!じゃあ次はイエメンで会いましょう!』
そんな、冗談のような約束のような話を最後にして、彼はダマスカスへ、私達はホムス行きへのバスへと乗車。
そして次の目的地ホムスでは、TJさんとのお別れが続いて待っている。
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※よりくわしい旅行記はこちらより↓
http://4travel.jp/traveler/pans/album/10500810/
●暇旅日記7:サイトーさん登場!女王の古都パルミラ
8月3日 朝
宿はエアコンがなくかなりの熱帯夜。一番涼しいはずの部屋なのに寝汗でぐっしょり。7時半に暑さで起きてもぞもぞと活動開始。コヤツももぞもぞしており、宿の廊下をのそのそ歩いていた。
この日、HAYAさんはダマスカス大の講義に、AYAさんはクネイトラへと向かった。そして私達はパルミラを目指す。ここでお別れだ。みんなにバイバイを言う。そして最後にAYAさんにお願いをした。
スキュ『この日本語をアラビア語で訳して』
どの国に旅をしようが、これは私の必須課題なのだ。
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町をうろつき、朝ごはんにZATAというスパイスをまぶしたパンを食べて、本屋を探すも見つからず。
パルミラ行きのバスターミナルへと移動。入り口のところで荷物チェックがちゃんとX線でやられていてビックリ。テロ・・・。中に入り、適当な店でバスチケットを頼み、1時に出発。
ここで同じ行き先になったイタリア人とTJさんがサッカーの話で盛り上がっており、サッカーに国境のないことを痛感。
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パルミラは3世紀に栄華を極めた砂漠の都市で、女王ゼノビアの都として有名。でも今は遺跡が残るのみ。諸行無常の響きどすえ。
ダマス→パルミラへは東の砂漠地帯を突っ切って行くのだけど、途中の道路標識に『IRAQ BAGDAD↑』とかってフツーに出ていて超ビックリ。
イラク、いつかは行ってみたいなあ・・・。
3時間半の車内でやることなかったので、TJさんとUKロックや日本のロック話をしたらかなり盛り上がってしまった。ここ、中東なのに。なんたる不思議なシチュエーション。
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パルミラに着く。って砂漠のど真ん中のフツーのカフェで降ろされたし、乗客の何人かはバスに乗ったままだったので、最初はだまされたかと思った。でも実は、このバスはさらにイラク寄りのデリゾールという都市行きで、それを途中下車する形のチケットだったことが分かる。面食らいながら、さっきのイタリア人とタクシーをシェアして(運ちゃんがベトウィンの人だったー)パルミラ遺跡近くへと移動。
目星をつけていたサンホテルという宿に投宿。(夕食込み500sp)ここは4人部屋をあてがってくれたが、すごく広くてキレイな部屋で、申し分ない宿でした。
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丁度夕方でずいぶん暑さが和らいできて、絶好の遺跡探訪日和。まずはツーリストインフォメーションを目指すが、生憎この日はクローズ。どうすっぺーと相談している我々のところへ、1人のタクシー運ちゃん登場。それが自称『サイトー』さん。
↑サイトー。・・・。どっからどう見ても日本人じゃないぜ・・・。彼曰く『パルミラのことならほとんどみんな知ってるぜ』
彼はガイドを申し出てきて、『トモダチプライス』で主要な見所を案内してくれるという。
あやしすぎる。
胡散臭さ120%だったが、夕暮れのアラブ城まで150sp+翌朝のエラベール3兄弟の塔墓+ベル神殿まで150spという価格は、決して高くなくむしろ安いと思ったためお願いすることに。
実はパルミラには『スズキタカシ』と名乗るやっぱりアラブ人のタクシー運ちゃんがいるのだが、彼が非常に評判が良いせいか、ほかの運ちゃんも日本人のミドルネームをつけはじめた・・・というのがことの真相みたい。このサイトウ氏もとても物知りで親切、話も面白かった。そしてなによりグッドプライス。
『当たり』だったと思っています。
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サイトーとは夕暮れ前に落ち合う約束をして、まずは遺跡本体へと足を運ぶ。
しかしこのパルミラ遺跡、広すぎる!!!!
広大な土地にばばーーーーーーん!!とかつての建物のあとがあり、たぶん一つ一つ解析すれば貴重な資料になりそうな、石や遺跡の残骸がフツーにその辺にゴロゴロしている。そして広すぎてどこからでも遺跡一帯の土地に入れるため、基本的には入場がタダ。
すごい。すごすぎる。スケール感ハンパないッス。
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私達がスゲースゲー言っていると、1人の日本人男子、Youさん(某携帯キャリアのエンジニア)と出会う。
彼もさきほどパルミラに着き、建物から遺跡ビューが楽しめるパルミラ随一のホテル”ゼノビア・シャーム・パレスホテル”にチェックインしたばかりだそう。その選択肢もいいなーと思った。
↑彼は昨日、ハマの街(私の次の目的地です)で民泊したとのことで、あの小さな町のどこにそんなことさせてくれる家があるのかとびっくり。『旅先で民泊』は彼のモットーらしい。ツワモノすぎる・・・。ウズベキスタンで馬に乗った話やロシア・グルジアに行ったときの話など、とても楽しかったな。
彼はこっちで日本人に全然会わない・・・と言っていたが、これまでに日本人旅行者に会いまくってきた私達には驚きの発言。むしろヨーロッパの辺境より遭遇率高いくらいなのに。この後アンマンに行くそうなので、ルアイの話をしてマンスールを強くオススメしておく。
3人で改めて遺跡一帯を歩く。本当にすごいすごいと口々に言いながら。
円形劇場。でも今日はフェスがあるみたいですぐに追い出されてしまった。
遺跡の夕暮れを見たかったけれど、今日は生憎の曇り空。
私達は丘にあるアラブ城から夕暮れビューを狙うが、Youさんはここからと見てみるつもりだそうだ。短い間だったけれど、彼とはここでお別れ。
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サイトーのタクシーに乗り込むと、スペイン人の熟年ご夫婦と一緒になった。彼らはリタイア後、世界旅行を楽しまれていて日本にも来たことがあるという。『まず礼文島からスタートしてね・・・』という出だしからして、只者ではない感ぷんぷん。田舎中心にあえてメジャー処を外していたそのセレクション、脱帽です。
私が2年前にスペインに行った話をすると、『バルセロナには行ってないの?!オーマイガー』と言われた。2人がバルセロナ出身だったからだ。
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アラブ城に着く。でもやっぱり今日は曇りでナイスビューではなかった。でもこればっかりは仕方ないよね。スペイン人ご夫妻も同じ感想。
遺跡全体を見渡す。やっぱり広い!
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宿に戻る。サイトーと明日の待ち合わせの約束をしてこの日はお別れそして屋上で夕食を取る。
献立はマトンカレーに米(パンじゃないのが珍しい!)と羊飼いのサラダ。んー、おいしい!宿の方のご好意でチャイをいただき、まったり過ごす。
そのうち、オランダ人カップルがやはり夕食を取りに来たので談笑する。
アムステルダムから来た、建築家×アムス歴史博物館のキュレーターという、絵に描いたような職業の組み合わせなオサレカップル。わしは5年前にアムスに行った話を、TJさんはやっぱりサッカーの話をして、それぞれ盛り上がる。彼らは日本に行ったら『鉄板焼き食べたい!』『日本のモダンアーキテクチャー(安藤忠雄とかな)見たい!』とか言ってて、雑誌ブルータスを地で行くような人たちだったな。
ちなみに彼らのバカンスは、彼ら曰く『オンリーワンマンス=たった1ヶ月』だと。ぶー。1週間の休暇しか取れなかったTJさんがそのことを告げると『ひー、そりゃ酷い!』って返ってきた。まったくヨーロッパ人ときたら。
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この宿は様々な国の人間が泊まっていた。スイス人、スロベニア人、フランス人、そして件のオランダ人・・・。
そして他に1人の西洋人女性がいた。軽く挨拶をかわしたときに彼女の国籍がアメリカだということを知って「シリアとアメリカは仲悪すぎなのに、よく入国できたよね・・・」と、私とTJさんは同じ感想を漏らしたのだった。
そして、これがその彼女、ケレンとの最初の出会いであった。
その後彼女と数日間行動をともにすることになろうとは。このときには想像すらしていなかった。
屋上ドミ。ここにケレンは泊まっていた。
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明日は早起きして、朝日の遺跡を見に行くことにした。
そしてTJさんともお別れだ。寝る前に、最後に目いっぱい音楽の話をして盛り上がる。
彼の3大夏ソングは、アンダートーンズ『Here comes the summer』、ポーグス『Summer in Siam』そしてThe Who『サマータイムブルース』だそうだ。そしてその意見には全面的に同意するも、かなりマイナーな価値観であることは否めないよなぁって、心の中で思うのだった。
facebook登録したー
旅であった人から『アカウントもってないの?』って言われまくったフェイスブック。キプロスで出会ったkafiくんからメールをもらったので、登録してみました。勢いついでにこれまでの旅写真おさめますた。Faceだけに、顔出ししてるのを貼るのが流儀みたいだったので、そうしてみた。
アカウントある方、または自分が写ってた!って方、よろすくです。
http://www.facebook.com/?ref=home#!/album.php?aid=13018&id=100001499795494
●暇旅日記6:『Abbiamo mangiato molt bene!』
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8月2日 18時半
ハンマームから宿に帰ると、TJさん、AYAさんに加え、ダマスカス大学の講義を終えたHAYAさんが戻ってきていた。外に飲みに行くのはやめ、みんなで食事を作って食べることになったようだ。中庭のキッチンでパスタを作っていたので、それに加わる。トマトにツナ、マギーブイヨンを入れてソースを作った。おいしそう!
パスタをゆでている間、みんなで色々な話をした。
HAYAさんのダマスカス生活のこと、ダマ大で出された宿題のこと、AYAさんのアラビア語がエジプト方言でやや面白いことになっていること(日本だと【外人が関西弁を喋っている】のと同じ感覚)、シーシャ=水タバコ のこと(自宅にあるそうな!)、などなど。
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なんて話に花が咲いたところでパスタの完成。
ちなみに3人が、隣室のイタリア人カップルに『一緒に食べる?』ときいたところ、
『シリアに来てまで日本人が作ったパスタなんて食べたくないね(笑)』
といわれたそーな(もちろん冗談で)。でもでも、このパスタは貧弱なキッチン設備でつくった割には非常においしく、件のイタリア人と会ったらこう言ってやろうとおもった。
『Abbiamo mangiato molt bene!』(=俺たち、メッチャおいしく食べたんだぜ!)
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私は、旅先で出会ったひとたちと、宿でご飯をつくって食べるのが好きだ。(バックパッカー用語で『シェア飯』とよばれているのだけれど、)
異国の食品パッケージを見るのが興味をそそるし、買出しも楽しい。経済的にも、労力的にもとても助かるし。
でもなにより・・・
1つの作業を共同ですることで、人と人との距離がぐっと近くなるような気がする、というのが主な理由なんだと思う。
ブタペストのヘレナハウスで放浪駱駝さん たちとフォアグラ丼つくったり、プラハでやっほーさん たちと食卓を囲んだりしたことは、今でもはっきりと、旅の思い出の特別な1ページとしてきざまれている。
もちろんこの夜だって、とびきりの光景として残っている。
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ご飯を食べたあとは、カシオン山に登ろう!という話になった。
カシオン山とはダマスカス市内にあり、聖書の話でカインとアベルの殺人が起こった所=世界で最初に殺人事件が起きた場所、として有名である。現在では夜景のビュースポットとして知られている。(ちなみにHAYAさんは昼間に一度行ったことあるそーな)
夜の町へと繰り出す4人。
さっそくAYAさんがタクシーと交渉開始。しかもアラビア語でアラビックに。流石エジプトを生き抜いてきただけあって、交渉力スゴイ!(エジプト=中東の関西)複数人に聞き、さらにジモティーに地元プライスを確認して交渉。その甲斐あり、往復で適正価格で行ってくれるドライバーが見つかった。
カシオン山の麓には、アサド現大統領邸があったり、途中に軍事基地と大統領専用核シェルターがあったりして、昼間だと見えるらしい。
流石アメリカに向こうを張ってる国はちがうなーとしみじみ。
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カシオン山に着くと、予想以上の車と人が集まっていた。
わ、ダマスカスが一望!
思ってた以上に大きくてキレイ!!予想以上にイイ。みんなでダマスのことを見直した。きてよかったなあって、しみじみ思う。
詳しくはこちらへ→夜のカシオン山
ジモティーの人もいっぱいのホットなスポット。
最初にカシオン山に登りたいって提案してくれたTJさん、アラビックで交渉してくれたAYAさん、ガイド?解説してくれたHAYAさん、みんながいて登れたんだな、と今になって思う。
旅と出会いの神様に、感謝・感謝。
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宿まで帰ったあとに、近くのお酒屋さんで買い出し。トルコビールと、それからHAYAさんの希望でアラック*1をGET。
近くの公園に行って飲むことにする。そこはキリスト教地区で飲酒してダベっている人多数。ここだけ見ると、イスラム教国じゃないみたいだなー。
いろんな人にからまれますた。その中にはパルミラのシタデルホテルの従業員もいたりして。
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そのあと宿に移動して飲みなおし。夜食にルアイがお餞別でくれたアラビック袋ラーメンをつくって食べた。
味はチキン。オーソドックスでなかなかおいしい。
アラック。これはあまり美味しくない銘柄で、歯磨き粉の味がした・・・。
これはアルバトラ(=ぺトラ)という名前だったので、『観光地名がつけられた酒とかまずい』説が確定。よーするに、名前が”京都”って日本酒なんて信用できない、てノリ。
11時半にこの楽しい宴会はお開き。
そして明日の朝は、みんな別々の道へと行くことになる。