●暇旅日記5:ダマスの男湯に突撃!(俺のせいじゃないっ)

8月2日昼

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TJさんとわし、ついにダマスカスに到着。
Kさんとトモさんに教わった宿に行くべく、まずは旧市街地へ。ここは城壁に囲まれたOld City。非常に歴史あるアーケードがそびえたってる。
(この編を参考にしてね →〜ダマスカス旧市街散策〜


しっかし暑ーーいNe!温度計を見ると・・・なんと46度とある。うそー。気づくとペットボトルの水がいつしかお湯になっていたのだった。誇張じゃないよ、本当に湯なのよー。まいった。

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宿『Al Amin Al JADEED』に到着。すると運悪く空きベッドが1つしかない。うーむ・・・と悩む我々に、宿のオヤジがひと言。

『外のソファーで1人寝てくれればそれでもいいよ。』

おお!実はTJさん、『ダマスでは屋外ベットに泊まりたいっス』と言ってたため、本当に願ったり叶ったりの展開となった。
*1

↑外ソファーの写真。なかなか良い中庭だった。


部屋にはいり一息ついてると、『こんにちはー』と美女登場。某大学アラビア語学科の才女、【AYAさん】である。エジプトに留学経験ありの、アラビア語ベラッベラの彼女、彼女も別の宿から今日、この宿に移ってきたばかりであった。

彼女の今回の旅はレバノンのベイルートから中東へ入り海沿いに北上し、そこからシリア東部、砂漠地方を回ってからダマスカスへと着いた。この後ヨルダンからエジプトへむかって旅するという・・・。・・・あ、ちょうど私と逆ルート!(しかも女性一人同士!)お互いに情報交換をはかる。


それからこの宿にはもう1人、日本人が泊まっているという。それが【HAYAさん】。某大学在学中の彼は、夏休みを使ってダマスカス大学短期留学プログラムに参加してアラビア語を習っているのだという。
今は授業中で、夕方帰ってきたら飲む約束をしてるとのこと。我々もそこに加わることにして、夕方まで少し街の散策をすることに。

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とりあえず非常に腹が減ってた我々は、ここぞとばかりに食べ物屋を攻めた。順番に写真とともに解説を。

  • ファラフェル・ラップ

 豆をつぶして揚げたファラフェルトいうコロッケを、アラブパンでまいたもの。約100円。ボリュームあって野菜いっぱい。ヘルシーかつ腹持ちよし。んまい。

  • ナッツアイス

 街行く人がみんな手に持ってたアイス。ピスタチオ特盛りでおいしすぎる。Bakdashという超有名店。約100円。

 タマリンドという甘酸っぱい実をすりつぶしたもの。約100円。変なカッコのおじさんが、よっこいしょとついでくれたー。


うー、シリアは物価が安い!
そしてどれもこれもがおいしすぎる!なんて素晴らしい。
大満足だーーーー!!!

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満足したのち、世界遺産のウマイヤド・モスクを見学。実は私の目的は、この敷地内にある【サラーフ・アッディーン廟】へ詣でることだった。

マイナンバーワン中東ヒーロー、サラーフ・アッディーンこと【サラディーン】。彼への愛を語ると、多分すごーーく長くなるので割愛。TJさんにも半ば呆れられてたしな。はは。

TJ『こんなサラディーンをピンポイントで求めてる人、あまりいないよねぇ・・・。』

・・・そ、そうかな?!
とにかく、サラディーンの棺を詣でられて超超超感動!


今後の旅の安全を目いっぱいお祈り。また、イスラム教キリスト教宗教的な対立の緩和についても祈らずにいられなかった。みんながサラディーンみたいに寛容だったら、きっとまるーく収まるのにね。今の時代だからこそ、彼の振る舞いに学ぶ必要があるとおもったよ。


モスク内で、砂漠の街・デリゾールからきたイスラムギャルたち(17歳美形)に、一緒にうつってくれとせがまれてとりました。わしがかぶってるのがヒジャーブです。モスク=礼拝堂のため異教徒でも着用必須。入り口で貸してくれる。
くわしくはこちらへ→ウマイヤドモスクとサラディーン廟

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ここでTJさんと別れて、私はひとり街の雑踏へと消える。ダマスカスでどーしてもやりたかったことがあったからです。
それは・・・ハンマームにはいること!ハンマーム=アラブ式銭湯で、アカすりやその他諸々エンジョイできるとのこと。


地球の歩き方』をたよりにテクテクあるいて到着。よし、なんとか女性の入浴時間に間に合った・・・。
勇んで入り口へGO。係のおにーさんがいたので、入浴料やアカすりなどのメニューなどについて話すこと5分。さて、と風呂場に入ろうとした止められた。

『ダメダメ。君は入れないよ。』
『え、え、なんでなんで???ひょっとして今日の営業はもう終了なの???』
『だって、ここ、男湯なんだもん。』


・・・?!
えっ?!
ええっー?!
えええーーーっ???!!!


そう、なんとそうとは知らず男風呂に突撃!してしまったのだーーー・・・。orz



・・・だってガイドブックには『女性時間あり』って書いてあったし。うっそー。っていうかにいさん、そういう大事なことは早めに言ってくれよ・・・orzorz
『近くの女性専用風呂があるから、そっちに行ってね』
はい・・・。異国でも、またやってもーた・・・とーちゃんかーちゃんゴメンよ・・・

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ジモティーに道を聞きつつ、なんとかハマムにたどり着く。カーテンがたれ下がってていかにもな雰囲気。
近くのガキンチョ(7・8才)が、『ハマム?ここだよ!』ってニヤニヤしながら教えてくれた。ちっちゃいのに内部の様子に興味津々のようだ。
君、将来有望!


中に入ると、『あー、今日は停電でスチームも湯も出ないから店じまいだよ』といわれる。ガーン。運悪し。しかしここでひるむスキュではない。

ス『ジャパニーズは1日1回必ず風呂に入るんだ。しかも毎日。シャワーじゃダメなの。だからなんでもいいから入れてよ。ノースチームもノーエレクトリックも、マーフィームシケラ*2っす。』

すると店のねーさんは渋々入れてくれた。やった。

ここのハマムは非常に古いつくりで、多分1300年くらい前からあるのではないか。とても落ち着いていて、リラックスできる脱衣場。そして中は水道がチョロチョロ。足湯をして、頂けたオリーブ石けんで全身を洗い、汗をさっぱりさせる。
・・・ふー、生き返るね。やっぱり日本人は風呂だね風呂。
アカすり等も休みで残念だったが、チャイを頂いてくつろぎのひと時をすごす。

そしてもう一つの収穫。イスラム国の女性たちのかぶっている黒いヒジャーブの下の神秘を、まじまじと見ることができたのであった。
・・・・・・。

男性陣は想像してみてくださいね★

(風呂事件のetc・・・はこちら→ハンマームにトライ!

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【ダマスカス編・後半へつづく】

*1:他の宿では、夏のこの時期は屋上ドミがあるんです。またの名を雑魚寝とも・・・

*2:アラビア語で『ノープロブレム』

暇旅日記4:アンマン城の夜景&在シリア日本人のおはなし

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8月1日(日) 13時

ぺトラ遺跡を往復すること7時間、出口まで来た時にはすでにヘトヘト、宿まではタクシーを使う。3人で3JD。宿に置いた荷物を取って、シャワーでもあびようかーと話していると、宿のオバハンがきてひと言。

『チェックアウト後のシャワーは駄目だかんねっ!!!』

まるでこっちの気持ちをよんだかのよーな言葉。これがかのバレンタインインの悪名高きオバサンスタッフ(奥さん?)だとおもう。

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仕方ないのでとっとと宿を後にして、Nさんから教えてもらった美味しいパン屋さんで昼ごはんを買い、ジモティーバスを乗り継いでアンマンへと戻る。この路線は観光客が使わないため、乗客は本当にアラビーばっかだったな。
ぺトラ→マアーン(40分1JD)、マアーン→アンマン(3時間半3JD)をスムースに乗り継ぐ。おかげで18時半には宿(マンスール)に戻ることができた。

↑アラビー度120%のローカルバス。さすがに肌を隠して乗りました。

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宿に戻るとルアイが、『超心配してたよー!』と迎えてくれた。ドミがいっぱいだったため、ツインの部屋を用意しててくれた。そしてロビーに行くと、先ほど宿に着いたばかりという日本人がいて、声をかけてくれた。

彼の名はKさん(21歳男子大学生)。若いのにとてもしっかりした志をもった人だった。

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彼はパレスチナ問題に興味があったが、でもただ行くだけではつまらないとおもった。そこで彼のとった行動は・・・アラブに留学してアラビア語をマスターし、現地人やパレスチナ人の友人を作り、その上でイスラエル入りして自分の目でパレスチナ問題を確かめる、というものであった。すごい。

私達の次の目的地、シリアのダマスカスに1年間留学していて、アラビア語ベラベラ。そして私達が会ったその日は、ヨルダンをぬけてイスラエルに行こうとしている、まさにそんな佳境のときであった。
一度イスラエルに入国すれば、もうシリアには戻ることができない(国交の都合上)。大好きなシリアを離れることは、彼にはとっても辛かったことが伝わってきた。

せっかくだからということで、一緒に行動することに。ルアイと夕ご飯を食べたあと、私とTJさんとKさんの3人でアンマン城からヨルダンの夜景を見に行くことに。Kさんがジモティーに道をきいてくれ、ようやくたどり着くことができた。
http://4travel.jp/traveler/pans/album/10496788/

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夜景というのはすごく不思議な力をもっていて、つい色々な話をしてしまう。彼からはたくさんのことを教えてもらった。

ダマスカスについてのこと、シリアには日本人が2〜300人しかおらず自然と顔見知りになってしまうこと、絶対に売れない路上で物を売ってる人はほぼヒミツケーサツの方だということ、レバノン南部にヒスボラ*1の取材にいったこと、許可なしにクネイトラ*2にいって拘束されて追いかえされたこと、シリアの海賊版事情についてのこと、などなど・・・。
アラビアン・ラップを勧めてくれたのも彼だった。本当に話を聞いてて飽きなかったな。

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夕日が落ちて宿に戻り部屋で休んでいると、9時ごろにルアイが部屋にやってきた。日本人が1人やってきたので泊めてやりたいがベッドがいっぱいだ、だからこの部屋の床に寝具をひいて泊めてあげたいんだ・・・という。2つ返事でOK。
やってきたラッキーな彼の名はトモさん(27歳男子)シリアから1週間旅してきて、明日アンマンから帰国という。彼からもシリアの情報をGETすることができた。やはり今の時期のシリアは非常に暑くて過酷だという。そしてダマスカス旧市街のオススメ宿について教えてもらったのだった。

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8月2日(月) 7時

朝ごはんを食べて、ルアイにお別れを言って旅立つ。次の目的地は、国境を抜けたシリアのダマスカス。
最後に彼に質問した。

ス『なんで日本人にそんなにやさしくしてくれるの???』
ル『だって心が温かくて、いい人たちだからじゃないか。
  ・・・でも日本人だからって、誰にでもやさしくするわけじゃない。
  心ない人には、それなりの付き合いになるよ。
  少し前に日本の女の子から、”ルアイ、結婚して!”っていわれた。
  でもそういうのが目的で親切にしているわけじゃないんだ。
  僕の心からの気持ち。そういうことなんだ。』

たくさんの親切の対価を決して受け取ろうとしなかった彼に対して、最後は日本からもってきてたドトールの簡易ドリップコーヒーパックを押しつけるようにして、宿を後にした。

ル『コーヒーか!それは僕の好物だ。』

やっと彼のよろこぶ顔が見れた。ちょっとでも相殺できてるといいなー、とおもう。


そしてヨルダンとシリアの国境を抜けて、昼過ぎにダマスカスに着いたのだった。(国境超えの方法と情報はこちらへ↓)
http://4travel.jp/traveler/pans/album/10496818/

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*1:レバノンシーア派急進的団体で政治組織。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%A9

*2:中東戦争で廃墟になった街をそのままの状態で保存してある。立ち入りにはシリア内務省への申請と許可が必要。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%A9

暇旅日記3:ぺトラ遺跡の光景は、きっと一生忘れない。


7月31日(土) 15時

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死海からタクシーとばして一路ペトラへ。でもなんだか様子がおかしい。
明らかにタクシーの運ちゃんが、道に迷っている・・・オイ。
岩山岩砂漠のど真ん中を、同じような道をいったりきたり、集落が見える度に『ぺトラはどっちだ?』と聞いて、その方向に走る、という・・・。
まーでも、しゃない。格安でしかも親切な彼に、ここは任せるしかない。

↑こんな砂漠の山道を延々とはしった。


気を取り直し、TJさんと車中でおしゃべり。昨年イギリスに行った話から、お互いにUKパンクスキなのが判明!ついでにブランキーとかミッシェルがスキなことが判明!ぎゃー!中東でジョンストラマーについて熱く語り合うとは、誰が予想してただろうか・・・。

そんな感じで4時間ほど車内カンズメ状態もさほど苦でなく、(死海にはいった疲れで快適に眠れたのもおおきかったー)7時には目的地・ぺトラのバレンタイン・インに到着ー。運ちゃんにはチップをはずむ。ドウモアリガト!

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ルアイは『バレンタインの従業員に”ルアイに便宜はかってもらった”っていっちゃダメだよ。』と言っていて、この格安タクシーにはなにか事情があるようだった。自分の身をきってまで親切にしてくれた彼に、本当に頭が下がる。
・・・と思いきや、運ちゃんが『ルアイのとこからきたんだ。』と従業員にフツーに話していて、!!!となったが・・・大丈夫なのか??!!

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部屋は9ベットドミトリーをチョイス。なかなかキレイだが、洗濯不可なのが・・・ネー。
同室に一人の日本人男性・Nさんがいたので、いろいろと話す。彼も昨日、死海経由でぺトラに入ったものの、疲れと暑さで1日休んでいたらしい。明日ぺトラ遺跡に行くということなので、同行することに。


ここの宿は、7時半までにくると格安で夕食バイキングが食べられます。外のレストランは観光客プライスなので、もちろん宿食を選ぶ。なかなかおいしいっす。


ここでビックリボックスな事実判明。なんとNさん、ご同業者でかつ全く一緒の勤務形態だったのだ!!!!1日目にして同業者・同業種の人に会うなんてスゴすぎる。

彼は相当旅なれていて、これからエジプトのダバブに抜けてダイビングを楽しむそうだ。プチ沈没コースですなー。いいなー。
そんな彼が強力にすすめる旅行先は、【イエメン】だった。

『旧市街の真ん中にある、高い塔のある宿にいって、そこで夕暮れのアザーンイスラムのお祈り時間を知らせるコーラン詠唱)を聞いたのが、本当に忘れられないんです・・・。』

この言葉は、後々まで私たちの心のなかに残りつづけるのであった。


この日は明日の早朝発にそなえ、早々に就寝。

↑あてがわれたベッド。なんかひっちらかしてますネー。

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8月1日(日)

朝5時起床。
さあ、はりきってぺトラ遺跡へ出発だ!その様子はこちらへ。
http://4travel.jp/traveler/pans/album/10495733/

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一番上からの眺めは、本当に、本当に、素晴らしい眺めで、あの悪路を約3時間、歩き続けた者だけがみられる、人生そのもののご褒美のような光景だった。
3人で繰り返し言ってたこと。
『この光景は、写真では収めきれないよね。』
『本当、実際に見ないと伝わらないよね。』
『一生忘れないように、目にしっかり焼き付けよう。』



実は私、最後の最後で一番上に登るのはしりごみしてた。でも2人が登る、と言ったから、押されるようにして登った。それが、ここに広がる風景。
この3人でここまで来られたことが、心の底からよかったと思った。

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そして宿にもどり、私とTJさんはジモティーバスでアンマンへ。Nさんは、宿にもう一泊して明日はダバブへ。それぞれの旅程へと進んでいく。


最後にがっちりした握手、忘れないよ!

●暇旅日記2:ルアイとの出会い/死海で浮く浮く

7月31日(土) 朝10:30

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ヨルダン到着。
入国の時にVISA取得のラインに並んでたら、モハンナドさんに『日本人はビザいらないよ!』といわれる。改めてノービザのラインに並んで、無事入国。ここでムハンナドさんにお礼を告げて、お別れ。

空港からアンマンの市内までエアポートバスで1時間。乗車して出発を待つと、隣に日本人男性:Y氏が乗車。同じ宿に向かう予定だったため、宿まで一緒に行動。さらに待つと・・・アレ?!
別方面に向かうはずのモハンナドさんがー!!!

モ『急に市内に行く用ができました。私もバス乗ります。』
ス『なんじゃそれ』
モ『君達は途中下車してタクシーを拾うといいよ。終点はぼったくりタクシーばっかだから』

モハンナドさん、バス運転手に途中で我々を降ろしてくれるように頼んでくれた。最後までアリガト!

さてタクシーを無事拾い、アンマンの有名日本人宿『マンスール(コーダ)』へ。ここは中東1の天使、サーメルという超親切な従業員がいたことで有名。今は日本人女性と結婚、日本にいます。
でもちゃんと後継者?がいた。現在はルアイというこれまた超親切な従業員がいるのであった。


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このルアイ、超超親切で、本当に本当に感謝してます。


まず彼はモノをぼんぼんくれた。
2Lの水3本、コーラ2本、トイレの紙(中東では貴重なの)1巻、袋ラーメン2つ、ハイビスカスティー3パック、ネスカフェ1本をくれ、それから頼んでないのに夕食とアイスをおごってくれた・・・・・・・。
1泊2日の間にこれだよ!?しかも1泊500円の宿だよ?!?!
必死に断ったんだよ!悪いから。明らかに彼の1日の給料以上の出費だもん。でも聞き入れてくれなかった。
『これいくらなの?』って聞くと、『なんで僕にそんなこと聞くんだい?(笑)』て返され、ビタ一文受け取ってくれなかった・・・・。うう・・・(涙)。

あと夜遅くやってきた日本人旅行者Tさんに、ベットが満杯だったのに追い返すこともせず、逆に『床で寝るならタダでいいよ(寝具つき)。あと朝食も食べていきなさい。』と、本当に大判振る舞いすぎることをやっていた。そんなんだから当然オーナーとは仲悪いみたいですが・・・。
でもとにかく、『マンスール』は文句なしの居心地であった。

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さて、宿に到着してすぐ、私は死海に行こうと思った。あの塩分がパなくて、人がぷかぷか浮くので有名なあそこです。そしてできればそのままぺトラ遺跡に向かいたかった。
でもヨルダンは交通機関が貧弱で、タクシーをチャーターするしかない。
そして、それはとても高い。
だからこそこの日本人の集まる宿で、同じ方面に行く人を募りたかったのだ。


運よく1人の日本人が見つかった。それがTJさん・27歳男子。
彼も社会人で、日程がかなりタイトだったが、驚くことにこの先5日くらいは私とまるきり一緒の旅程なことが判明!おおー、やった。
ルアイにタクシーチャーターを頼んだら、相場より安い値段でアレンジしてくれた。

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昼:13時

さっそく一路死海へと向かう。アンマン市内から1時間弱で到着。その辺りの様子はここを参照。
[http://4travel.jp/traveler/pans/album/10493135/:title=http://:title=http://4travel.jp/traveler/pans/album/10493135/]

死海に入るとお肌は確実にツベッツベになります。肌にミネラル分がいきわたってる感じ!そして長時間はいるのは無理・・・身体に負担がかかっているのがわかりました。
だって、沈めないし。浮いちゃうし。これじゃあ入水自決はできんねー、と2人で笑って話してました。

そして塩辛ーい身体を引きづりながら、あのインディージョーンズのロケ地になった【ぺトラ遺跡】へとむかいますた。

モハンナドさんとの出会い、そして中東問題についてスキュ熱弁す

まーそんなこんなでのっけから波乱に満ちた旅のはじまりだったですが、
この結果、いいこともあったんです。飛行機の席です。


1つ目は、成田→ドバイで、隣に誰もいない席をあてがわれ、おかげで10時間のフライトを3列シート1人占めで横になって行くことができたこと。
2つ目は、ドバイ→ヨルダンの機内で、ミスマール・モハンナド氏に出会えたこと。

誰それ?って説明の前に、まずはドバイ空港到着からの流れをおってきましょう。

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午前3時半、ドバイ空港に到着。ドバイはアラブ首長国連邦UAE)の都市。UAEは中東一の経済大国。あの世界一高いタワーもあるんだよ!


・・・わわわ、この空港広すぎ!成田の比じゃない!そして夜中なのにフツーに免税店が全部あいてる!!!すごーい!
でもトイレに並んで【お祈り場】があるところが、いかにもイスラム圏。


そして
男性はあの白いイスラム服着てるひともいるし、
女性はあの黒いイスラム服まとってるひともいるし、
いよいよアラブに来たなーって感じがひしひしする。


次の目的地・ヨルダンのアンマン行きの飛行機に乗り継ごうとするも、出発口が表示されておらず。並ぶ人を押しのけインフォメーションの人に搭乗口を教えてもらう。
そこに行くと、何の表示もないカウンターがポツン。チケット見せると通してくれたが、不親切すぎ。アレじゃあ絶対に迷い人出るって。

カウンターを過ぎるとバスがおり乗車。5分くらいグルングルンと空港内を走り回り、多分別のターミナルに移動した先に、ポツンと飛行機が待っていた。
さすがアラビー。これじゃあフツーにたどり着けんって。

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なんとか飛行機に乗るも、定刻になっても出発の気配なし。アナウンスによると、迷子の客が出ているという。まああんな搭乗方法だし、やむなしだわー。


と、ヨルダン入国にそなえパスポートをぺらぺらめくっていると、後ろから ”エクスキューズミー?”
半袖短パンのにーさんが声をかけてきたのだった。
”君のパスポートにあるシリアビザ、日本で取るといくらするんだい???”


・・・聞けば彼はヨルダン在住で、仕事で大阪に行って帰路につく途中だという。

ス『そーですかそーですか。で大阪はどーでした?』
彼『んんんーー・・・。関西人、ちょっと大変だった・・・(遠い目)』
ス『(苦笑)。彼ら、Funny(愉快)でしょー?』
彼『(苦笑)。んーーー、そうだね・・・たしかにFunnyだな。はははははは・・・。彼らは面白いけど、長い時間一緒に過ごしたくないなー(苦笑)。』
ス『(この流れッ! お、俺の父ちゃんは関西人だなんて絶対言えねー・・・。)』

ス『ところでなんで大阪に行ったの?トーキョーとかキョートじゃなくって?』
彼『んー、ジャパニーズイエローガイドブック(←『地球の歩き方』)持ってる?』
ス『ヨルダン編ですよね?持ってますハイどうぞ。』
彼『えっとねー・・・(パラパラ)。 あ、これ、僕。仕事でいってたの。』


指さされた先を見ると、

 【ヨルダン政府公認:日本人専門ガイド:ミスマール・モハンナド】

えー!ひょっとしてあなた有名人???マジすか?!

モ『本当だよ。ほらっ。(とガイド身分証を見せる)。』
ス『わー!マジで!』
モ『へへ。ダカラ日本語でシャベッテOKデス★』(←と日本語でしゃべりだす)
ス『(・・・じゃあ最初から日本語でしゃべってくれっ!!!)』


モハンナドさん。かなり気さくでいっぱいしゃべったよー。

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このモハンナド氏、なかなかおもしろい方で、なによりもアラブ人っぽくない。なんか西洋人みたい。
それでもわしが出会ったアラブ人第1号が彼となったわけでして、彼が日本語ベラッベラなのをいいことに、質問攻めをしたわけでありました。


ス『あの白いイスラム服着てる男性って、敬虔な信者さんなの?』
モ『いーや、ただのファッション。』
ス『えっ?!マジ?!
  ・・・じゃージャパニーズ浴衣とおんなじよーなもん?』
モ『まーそうかな。』
ス『あとあと旅行者でも女性は肌を隠した方がいいんだよね?』
モ『いーや、関係ないね』
ス『えっ?!マジ?!』

 ※ちなみに彼は半袖短パンって格好


ス『飛行機遅れてますねー。でもアラブってこんな感じでテキトーなんでしょ?』
モ『いやいやいやいや、こんなのおかしい!アラブすぎるっ!!』

 ※【アラブすぎる】って、すごい日本語・・・。


ス『ところで、今ヨルダンで一番ホットなツアーってなんですか?』
モ『ないね(きっぱり)。』
ス『(苦。おい・・・。)』
モ『まーでもぺトラは見なきゃ、ヨルダンに来る意味がないね。』
ス『でもなんで日本語ガイドになろうとおもったの?』
モ『いや、別になるつもりはなくってさー(笑)。』
ス『(苦。おい・・・。)』
モ『でも競争率は少ないよ。JTBとか近ツーとかと仕事してます。』
ス『すげー。あ、ひょっとしてモハンナドさんって社長さん?』
モ『んー、まあ、一応・・・。』
ス『わー!シャッチョーサーン!!シャッチョーサーン!!!』
モ『(苦笑)。アラビア語勉強して君もウチで働く?』
ス『・・・遠慮しときます。』

 ※現在3人の日本人が働いてるとのこと。こちらの会社です。
   


ス『もうすぐラマダン(イスラム教の断食期間)なんで怖いっス』
モ『旅行者はカンケーないよ。僕も食べてるし(笑)。』
ス『(に、にーさん、いいのかそれで・・・)』
モ『でも人前では食べない方がいいね。』

 ※イスラム教では個々の信仰の程度によって、守るべき義務も個々に委ねられてるみたいです。しかし敬虔な教徒はこの期間、唾も飲みこまないらしいですよー。


そして最後に、イスラエル問題について。

ス『わし、一応イスラム史が専門なんスけど、イスラエルがキライなんです。』
モ『大丈夫!キライなのは君だけじゃなくってみんなそうだから。』
ス『えーやっぱりアラブ人はイスラエル嫌いなの?』
モ『そりゃー歴史を見れば、だましたとしかいえないやり方だよね。』
ス『ですよね。イギリスのやり方はオカシイ!
 ついでいうと、大国が責任を取らないのはおかしいと思う!!!』

スキュがそのひと言を言い終わると同時に、ついにフライトがはじまった。
『只今から当機はアンマン・クイーンアリア空港に向かいます・・・』

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彼はアラブの世界を相当客観的に見ることができる人物であった。
この会話は、一生忘れることができないでしょう。

そしていざ、ヨルダンはアンマンへ。

  暇旅日記プロローグ:成田まで

暇旅日記:時間のあるときにぽしょぽしょ書いてこうと思います。

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暇旅日記プロローグ:成田まで


7月30日(金)

今回の旅はのっけからパプニング勃発。金曜の夜出発、エミレーツ航空21:40出発だったのですが、直前まで仕事やってたので当日まで全く準備できず。当日も仕事の合間をぬって旅準備してたものの、どーにもこーにも遅々として進まず、気づいたら夜の19時30分。Oh!
超パニくる!@自宅



急いで新宿へ荷物引きずり汗かきまくりで突っ走るも、成田エクスプレスの最終便は5分前に行ってしまった・・・。駅員さんに尋ねると、JRでは最短でも21:41到着。それ、出発時刻すぎてまんがな・・・。
超超パニくる!!@新宿駅



駅員さんに『もうタクシーしかないんじゃない?!』とアドバイスいただき、乗り場を案内してもらうも、乗り場にタクシー1台もおらず。
さらに超超超パニくる!!!@新宿東口



そこでとった手段・・・



アルタ前まで移動し、まさにお会計を終えようとしているタクシーを捕まえ、『最速で成田空港までお願いします!』とシャウト。

・・・運ちゃんに『え?!成田まで?!』と言われるも、幸いにもこれまで新宿→成田まで客を乗せた経験がある人だった。!。勿論最短ルートも熟知。

スキュ『おいちゃん、これ、間に合いますかね?』
運ちゃん『ん〜〜〜〜〜、どうだろー。渋滞してなきゃいいけどねー。』
ス『おいちゃん、お願いします!もうおいちゃんに運命預けますからっ』
運『あいわかった!とばすぞっ!!!!!』


首都高ぶっとばして、100kmでぶっ飛ばしてもらい、
湾岸道ぶっとばして、120kmでぶっ飛ばしてもらい、
とにかくとにかく、大急ぎでとばしてもらった。

もし着かなかったらどうしようどうしよう、と動揺しまくりながら・・・



・・・

そしたら・・・

・・・


なんとなんと21時過ぎには着いた!!!!!!!!!!


おっちゃん、新宿→成田間を1時間ちょいで走りきってくれたの!!!!!

まじで!!!!奇跡!!!!

おっちゃんにたくさんたくさんありがとうを言った。


そしてエミレーツのカウンターにダッシュ。幸いにも搭乗手続きの最終には間に合った!もう半ベソ/半小躍りで、飛行機へと向かった。
そして無事にエミレーツ便に乗車、一路ドバイへ、そしてアンマンへと向かうことが出来たのだった。


・・・あ、料金ですか?
すっごい勢いで日本経済に貢献した!といえるだけの額だったです。おススメしません。絶対しません。
ので、気をつけてください。
東京から成田って結構遠いYO!

帰国したよー

昨日、無事に日本に帰国しました。時差ぼけがひどくて今日は1日じゅうぼーとしてました・・・

やー、今回の旅もとってもよい旅でした!!!たくさんの人に出会い、たくさんのものを見て。

中東は日本で持たれているイメージとは全く違って、とても安全でとてもフレンドリーで親切な国でした。シリアなんて、バスのお金払ってくれるはホテルまで連れてってくれるは、もう人が優しすぎて感謝の念でいっぱいです。

いかにメディアからのイメージが、アメリカ寄り(ユダヤイスラエルてこと)なのか、分かった。全然危なくないです。日本人もいっぱいいましたね。

ヨルダンでは死海に浮かんでぺトラ遺跡を見て、
シリアではパルミラ遺跡とその他たくさんの遺跡を見たり水タバコ吸ってのんびりしたり、
レバノンではバールベック遺跡を見て、
南&北キプロスではモザイク画と、思いっきりリゾート&海を楽しみ、
トルコではカッパドキアの巨岩群とイスタンブールの町を満喫し・・・。
本当にいってよかったなーと思いました。


おいおいと旅の記録ものっけていこうかな。