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沈黙

 彼についてのことをいずれこうして書かなくてはいけないと思ったのは、もうほぼ逆らうことのできない、運命的な流れの中でどうしてもされるべき一環の出来事であるからだ。彼について書くこと自体が目的ではない。私と彼と一連の物事とが絡み合って1つとなり、今という時になって押し寄せる川の流れのように襲い掛かり、予め決められた道筋を行くようにしか進んでいくことの出来ないこの状況全てが、私に書くことを要求している。もちろんその流れに反することは、不可能に近い。


 彼と私とは、先の見えないとてもとても困難な問題に巻き込まれつつある。こんな状況になったことについて、ずっと前から決められていたような気もするし、たまたまそういった目に見えない運命的な何かを引き寄せることができる2人が揃ってしまったからかもしれない。もっと本質的なことを言えば、私たち2人とも、そうした状況に巻き込まれるのを、心のどこかでは望んでいたのかもしれない。そして今も望んでいるのかもしれない。
 物語の渦とも呼べるべきそれは、暴力的に私や彼のそれぞれの進行方向をを変えてしまった。そしてそのことにより、私と彼の結びつきは強固なものとなったのであった。

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 今となっては物語以前に元に戻ることはできない。彼の表現を借りるなら、こうだ。
“一度背負ってしまった荷物は、もう降ろすことは出来ない。”
全ては決められたあるべき場所に還るだけで、私たちもその過程で起こるべきこと全てを行わなくてはいけない。――例えば、彼についてこうして書くこともその1つだ――それがこの物語に対する私たちの役割であり、物語が1から10まで全て帰着するための儀式であるからだ。


 青色に鈍く霞んだ情景の中で、私が望むものすべてが、彼が望むものすべてである、という大いなる錯覚が私の心と体の全体を覆いつくしていき、その影の残像の中でぼんやりと、彼の姿を思い浮かべる。彼の顔から始まり、薄い皮膚をした手の甲(それは私が初めて触れた彼の体の部位でもある)、浅黒くややがっしりとした腕、襟付きの洋服、そして着衣の下の胸から下半身にかけて、そして足の指先のほうまで。
 台風が去った後の秋の好天のように、少しの涼しさと暑さ、加えてある種の寂しさとをたたえて、体の予感がそこにある。私はごく率直に聞いた。『あなたが私に抱く感情の到達点はどこにあるのですか?私とセックスすることですか?それとも別の何かがあるのですか?』彼は答える。『それはどこにも到達しない。到達してはいけない。』でもその答えは彼の感情とは大きくかけ離れたものであった。本当は、その時が来れば彼にはしかるべき地点に到達する準備があるのだ。そしてそれは私も同様だった。この一連の出来事がしかるべき展開を見せるときには、私たちは到達しなくてはならない。それは、大嵐の日に、自分の行く末をほぼ知りながらも黙って自分の運命を受け入れ、小船で海に出ていく漁師のような心情のようで、絶望的で世間一般からは隔絶された営みなのだ。


 それでこの濁流のような物語は、一体私たちをどこに連れて行こうとしているのだろうか?また物語自体はどこに帰着しようとしているのだろうか?少なくとも、今の私たちにはそれらの帰着点を自分でコントロールしているような気分になっている。しかし本当にそうなのだろうか?私たちは実のところ、ちっぽけな人間2人が及びつかないような、もっと大きな力によって、“自分たちでコントロールしている”気にさせられているだけではないだろうか?私はその可能性に、ひどく怯える。

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 数日前、本屋で一冊の本を手に取った。『スプートニクの恋人』という本。以前に話のさわりだけ読んでそのままになっていた本なのだが、その日この本を手に取ったとき、靴を履いて玄関のドアを開け、近隣の迷惑にならないようにそっとドアに手をかけて優しく閉めたあと、キーホルダーにいくつかぶら下がっている鍵の中から目印のつけられた1つの鍵を選び出して家の鍵をかけるという、毎朝家を出るまでのお決まりのごく自然な一連の動作のように、お店に入って本棚を見て、無意識にその本に手を伸ばしてまっすぐレジに向かうという、ごく自然な動作でその本を手に入れたのだった。もっと別の表現を用いてもいいかもしれない。それは“本に呼ばれた”という感覚。読み始めて最初のうちは、ただ単純に時間つぶしのはずだったのだが、話が進むにつれ、どうして今この本が自分の手に取られるべきだったのかを理解した。その本は、これから起こりうることへの予告を状況にシンクロさせて伝えようとしている、そんな感触を覚えた。同時に、開けてはいけない扉があるということを、開けては元に戻れなくなる扉があるということを、暗示されている気がした。そして私は、それをきっと開けてしまうだろうことも―。

 この物語が帰着したとき、私は何かを失ってしまうのだろうか?それはとても恐ろしいことのように思える。濁流の中で両足で踏ん張り、川底に竿を差してその流れになんとか飲み込まれないようにするのが今の自分ができる精一杯のことである。でも同時に、私はもう1つの事実も良く了解している。それは“自分の心の内に秘めたエネルギーと引き換えに、この状況を最良の方法で解決させることができる”ということだ。
 心のエネルギー?人はきっと笑うだろう。でもその存在を私はずいぶん前から知っているし、それを発動したときにどんなことが起こるかを、私は知っている気がする。そしてそれを発動させるには自分の覚悟が必要であることも。エネルギーと引き換えに、自分の生命の根源的な力がなくなってしまうかもしれないというリスクがあることも。しかし私はとうの昔に、自分が本当に大切だと思う人々を護るために、この力は使うべきだと自分自身で定義づけたのであった。破壊でもなく、創造でもなく、全てを平穏で中庸に保つことにこそ、この力は使われるべきなのだ。

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 全ては自分の手の中に委ねられているようで、実はそうでないのかもしれない。どちらにしても、私は、これから来年の春までに起こりうることの全てから目をそらさず、ありのまま丸ごと受け止めなくてはならない。それが自分に課せられた、今の時点で分かる確実な運命の1つであるからだ。
 ここまでの話が私の空想であると思われる向きもあるだろう。結果的にそうなったら、それは最も幸福な結末であると言える。物語はそもそも存在せず、それゆえ帰着点も存在しなくなるからだ。しかし今の私には、あらゆる事態を想定することが必要なのだ。できるだけ正確に運命を読み、最善を尽くすのが、自分の駒としての役割だと思うからだ。