8月3日 朝
宿はエアコンがなくかなりの熱帯夜。一番涼しいはずの部屋なのに寝汗でぐっしょり。7時半に暑さで起きてもぞもぞと活動開始。コヤツももぞもぞしており、宿の廊下をのそのそ歩いていた。
この日、HAYAさんはダマスカス大の講義に、AYAさんはクネイトラへと向かった。そして私達はパルミラを目指す。ここでお別れだ。みんなにバイバイを言う。そして最後にAYAさんにお願いをした。
スキュ『この日本語をアラビア語で訳して』
どの国に旅をしようが、これは私の必須課題なのだ。
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町をうろつき、朝ごはんにZATAというスパイスをまぶしたパンを食べて、本屋を探すも見つからず。
パルミラ行きのバスターミナルへと移動。入り口のところで荷物チェックがちゃんとX線でやられていてビックリ。テロ・・・。中に入り、適当な店でバスチケットを頼み、1時に出発。
ここで同じ行き先になったイタリア人とTJさんがサッカーの話で盛り上がっており、サッカーに国境のないことを痛感。
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パルミラは3世紀に栄華を極めた砂漠の都市で、女王ゼノビアの都として有名。でも今は遺跡が残るのみ。諸行無常の響きどすえ。
ダマス→パルミラへは東の砂漠地帯を突っ切って行くのだけど、途中の道路標識に『IRAQ BAGDAD↑』とかってフツーに出ていて超ビックリ。
イラク、いつかは行ってみたいなあ・・・。
3時間半の車内でやることなかったので、TJさんとUKロックや日本のロック話をしたらかなり盛り上がってしまった。ここ、中東なのに。なんたる不思議なシチュエーション。
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パルミラに着く。って砂漠のど真ん中のフツーのカフェで降ろされたし、乗客の何人かはバスに乗ったままだったので、最初はだまされたかと思った。でも実は、このバスはさらにイラク寄りのデリゾールという都市行きで、それを途中下車する形のチケットだったことが分かる。面食らいながら、さっきのイタリア人とタクシーをシェアして(運ちゃんがベトウィンの人だったー)パルミラ遺跡近くへと移動。
目星をつけていたサンホテルという宿に投宿。(夕食込み500sp)ここは4人部屋をあてがってくれたが、すごく広くてキレイな部屋で、申し分ない宿でした。
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丁度夕方でずいぶん暑さが和らいできて、絶好の遺跡探訪日和。まずはツーリストインフォメーションを目指すが、生憎この日はクローズ。どうすっぺーと相談している我々のところへ、1人のタクシー運ちゃん登場。それが自称『サイトー』さん。
↑サイトー。・・・。どっからどう見ても日本人じゃないぜ・・・。彼曰く『パルミラのことならほとんどみんな知ってるぜ』
彼はガイドを申し出てきて、『トモダチプライス』で主要な見所を案内してくれるという。
あやしすぎる。
胡散臭さ120%だったが、夕暮れのアラブ城まで150sp+翌朝のエラベール3兄弟の塔墓+ベル神殿まで150spという価格は、決して高くなくむしろ安いと思ったためお願いすることに。
実はパルミラには『スズキタカシ』と名乗るやっぱりアラブ人のタクシー運ちゃんがいるのだが、彼が非常に評判が良いせいか、ほかの運ちゃんも日本人のミドルネームをつけはじめた・・・というのがことの真相みたい。このサイトウ氏もとても物知りで親切、話も面白かった。そしてなによりグッドプライス。
『当たり』だったと思っています。
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サイトーとは夕暮れ前に落ち合う約束をして、まずは遺跡本体へと足を運ぶ。
しかしこのパルミラ遺跡、広すぎる!!!!
広大な土地にばばーーーーーーん!!とかつての建物のあとがあり、たぶん一つ一つ解析すれば貴重な資料になりそうな、石や遺跡の残骸がフツーにその辺にゴロゴロしている。そして広すぎてどこからでも遺跡一帯の土地に入れるため、基本的には入場がタダ。
すごい。すごすぎる。スケール感ハンパないッス。
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私達がスゲースゲー言っていると、1人の日本人男子、Youさん(某携帯キャリアのエンジニア)と出会う。
彼もさきほどパルミラに着き、建物から遺跡ビューが楽しめるパルミラ随一のホテル”ゼノビア・シャーム・パレスホテル”にチェックインしたばかりだそう。その選択肢もいいなーと思った。
↑彼は昨日、ハマの街(私の次の目的地です)で民泊したとのことで、あの小さな町のどこにそんなことさせてくれる家があるのかとびっくり。『旅先で民泊』は彼のモットーらしい。ツワモノすぎる・・・。ウズベキスタンで馬に乗った話やロシア・グルジアに行ったときの話など、とても楽しかったな。
彼はこっちで日本人に全然会わない・・・と言っていたが、これまでに日本人旅行者に会いまくってきた私達には驚きの発言。むしろヨーロッパの辺境より遭遇率高いくらいなのに。この後アンマンに行くそうなので、ルアイの話をしてマンスールを強くオススメしておく。
3人で改めて遺跡一帯を歩く。本当にすごいすごいと口々に言いながら。
円形劇場。でも今日はフェスがあるみたいですぐに追い出されてしまった。
遺跡の夕暮れを見たかったけれど、今日は生憎の曇り空。
私達は丘にあるアラブ城から夕暮れビューを狙うが、Youさんはここからと見てみるつもりだそうだ。短い間だったけれど、彼とはここでお別れ。
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サイトーのタクシーに乗り込むと、スペイン人の熟年ご夫婦と一緒になった。彼らはリタイア後、世界旅行を楽しまれていて日本にも来たことがあるという。『まず礼文島からスタートしてね・・・』という出だしからして、只者ではない感ぷんぷん。田舎中心にあえてメジャー処を外していたそのセレクション、脱帽です。
私が2年前にスペインに行った話をすると、『バルセロナには行ってないの?!オーマイガー』と言われた。2人がバルセロナ出身だったからだ。
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アラブ城に着く。でもやっぱり今日は曇りでナイスビューではなかった。でもこればっかりは仕方ないよね。スペイン人ご夫妻も同じ感想。
遺跡全体を見渡す。やっぱり広い!
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宿に戻る。サイトーと明日の待ち合わせの約束をしてこの日はお別れそして屋上で夕食を取る。
献立はマトンカレーに米(パンじゃないのが珍しい!)と羊飼いのサラダ。んー、おいしい!宿の方のご好意でチャイをいただき、まったり過ごす。
そのうち、オランダ人カップルがやはり夕食を取りに来たので談笑する。
アムステルダムから来た、建築家×アムス歴史博物館のキュレーターという、絵に描いたような職業の組み合わせなオサレカップル。わしは5年前にアムスに行った話を、TJさんはやっぱりサッカーの話をして、それぞれ盛り上がる。彼らは日本に行ったら『鉄板焼き食べたい!』『日本のモダンアーキテクチャー(安藤忠雄とかな)見たい!』とか言ってて、雑誌ブルータスを地で行くような人たちだったな。
ちなみに彼らのバカンスは、彼ら曰く『オンリーワンマンス=たった1ヶ月』だと。ぶー。1週間の休暇しか取れなかったTJさんがそのことを告げると『ひー、そりゃ酷い!』って返ってきた。まったくヨーロッパ人ときたら。
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この宿は様々な国の人間が泊まっていた。スイス人、スロベニア人、フランス人、そして件のオランダ人・・・。
そして他に1人の西洋人女性がいた。軽く挨拶をかわしたときに彼女の国籍がアメリカだということを知って「シリアとアメリカは仲悪すぎなのに、よく入国できたよね・・・」と、私とTJさんは同じ感想を漏らしたのだった。
そして、これがその彼女、ケレンとの最初の出会いであった。
その後彼女と数日間行動をともにすることになろうとは。このときには想像すらしていなかった。
屋上ドミ。ここにケレンは泊まっていた。
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明日は早起きして、朝日の遺跡を見に行くことにした。
そしてTJさんともお別れだ。寝る前に、最後に目いっぱい音楽の話をして盛り上がる。
彼の3大夏ソングは、アンダートーンズ『Here comes the summer』、ポーグス『Summer in Siam』そしてThe Who『サマータイムブルース』だそうだ。そしてその意見には全面的に同意するも、かなりマイナーな価値観であることは否めないよなぁって、心の中で思うのだった。